奇妙な仕事

2020年9月7日


 その仕事の正式な名称がなんだったのか、いまとなっては思い出せない。

高校生のときの夏休み、短期間のアルバイトをしたことがある。その仕事はたしか私が新聞で見つけて、友人たちに声かけをして、いっしょに応募したのだった。

私たちはバンの後部に詰め込まれて、郊外の荒れ野に連れていかれた。そこが私たちの仕事場だった。一面のサトウキビ畑。かなり重い電動草刈り機を肩にかけて、目の前に群生しているサトウキビをひたすら刈っていく。なにもなくなってから、いよいよ仕事を開始する。私たちは二人一組で、コイル型になった磁気探査機を両側から紐でつるして、地面すれすれに動かして歩いていく。その土地をくまなく歩きまわらなくてはいけない。そうして不発弾が埋まっていないか探していくのである。

ふつうであれば、土地を開発する場合、測量→整地→工事という順番になると思うが、沖縄には戦後いつまで経っても、いまだに、たくさんの不発弾が埋まっているので、前段階で不発弾調査をする必要があるのだろう。

炎天下のなか、作業はきつかった。疲労困憊し、昼ご飯が喉を通らなかった。しかし食べないと午後の仕事をするのに体力がもたないので、無理に弁当の中身を口に詰め込んだ。

土地はおよそ平坦なものではない。それを利用可能の土地にするには、凹凸のある地形に沿って木や植物を刈っていくという作業をしなければならず、苦役そのものである。

ある日の帰り、私たちが座るバンの後部に箱が置いてあり、タオルで巻いた円錐形の大きな物体が入っている。不思議に思った友人が運転している作業員に訊ねると、不発弾だよと軽い調子の答えが返ってきた。なんでも、磁気探査が終わったあとに発見されたので、正式に申告もできず持ち返るしかなかったようだ。私たちはことばも出ず、ただ顔を見合わせるばかりだった。ときどきゴロゴロと箱の中で転がる物体からできるだけ身を遠ざけるということしかできなかった。

しかし、そんな危険な仕事を高校生に任せてもよかったのだろうか。なんとも呑気な時代の話である。

(沖縄本島に埋まっている不発弾をすべて撤去するのに後何十年もかかるというのだから、呑気な話は一転して重いものになる)


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