2001年、米同時多発テロが起こったとき、私は地元の新聞社で校閲の仕事をしていた。
通常であれば、翌日の朝刊は夜12時までに紙面を完成させて、印刷センターに回すのだが、夜10時ごろ突然入ってきたニュース速報に社内は騒然となった。共同通信社が配信する緊急速報のピーコの音が立て続けに鳴り響き止むことがない。新たな情報が次々と入ってきて更新されていく。記者たちは振り回されるように部署内を走りまわり、何度も紙面を組み替えていく。
私はその日、社会面を担当していた。一度組んで出てきた紙面を読んでチェックするのだが、読み終える前に、新たに記事を差し替えた紙面に取って代わられる。
普通、紙面のレイアウトは、最初のゲラで出てくる段階でほぼ固まって動かない。この日も平穏な記事が社会面を占めるはずだった。だが、予期もせぬ事件に、レイアウトはめまぐるしく変更されていった。
テレビで世界貿易センターのタワーが崩れていくのを息を呑んで見ながら、それでも業務をつづけていく。組まれた文字は、次にゲラが回ってくるときはまったく様変わりしている。積み重なっていくゲラをつづけざまに見ていくと、紙面もまたガラガラと音をたてて崩れていくように見えた。
何か途轍もないことが起きている/起こるだろうという不安は、アメリカ本土にいるわけでもない私もとらわれるようだった。映像はどこか非現実的な出来事でありながらも、私もまたこの世界につながっているのだ、と感じた。