たまたま開いた写真集に一枚の風景写真を見つけた。
モノクロで粗い粒子が飛び交っているその写真は、戦後すぐの風景に違いなく、昼間、粗末ななりをした男の子女の子が六、七人、米軍基地のフェンスにしがみついて(ある者はいまにも乗り越えようとするようによじ登っている)広大な基地の中を覗いている光景をとらえたものだった。基地の中は見えない。ただ、広大な空(カラーであれば鮮やかな青であろう)と、おそらく滑走路があるであろう茫漠とした空間がどこまでも開けているのが垣間見えるだけである。
子供だった私は意識しないまま、上記の写真と同じ光景を再現していたのではなかったか。
あのころ私たちは毎日のようにフェンスに顔を押しつけては、緩やかに吹いてくる風に小さな体をさらしながら、何かを探し求めて基地の中を見ていた。まぶしい緑の芝生の向こうには灰色の滑走路がどこまでも伸びていて、奥にコンクリート造りの建物が並んでいる。建物の隙間から海が見えた。
私たちは誰に教えられたわけでもなかったが、このフェンスの中に入ることはできないのだとわかっていた。だから基地の中に憧れていたのだろうか、とも思ったが、よく思い出せない。あるいはそれは子供の習慣のようなもので、そこによじ登れるものがあればよじ登り、広い空間があれば覗いて、小石を投げ入れるといったものだったのだろうか。
しかし、戦後すぐに撮られた写真の中の子供たちと、それから三十年経った子供たちの変わらない身振りには、考えさせられるものがある。もしかすると今でも子供たちは同じことをしているのかもしれない。基地は依然として街の真ん中にあるのだから。