「ペスト」カミュ(宮崎嶺雄訳)
死の恐怖そのものであるペストは、オラン市の市門を閉ざし、市民を「袋の鼠」状態にしてしまうことで、奇妙なことに、それまで互いに関係のなかった人々に連帯をもたらす。「もう今からは、お気の毒でも、あなたもここの者になるわけです。世間みんなと同じように」と医師リウーはランベールに向かって言う。
この小説の中では、ペストは必ずしも「悪」とはみなされず、両義的な意味付けさえされているように見える。「ペストにもいい効能があるって考えてるんでしょ?」とタルーは言う。リウーはペストとの闘いは「際限なく続く敗北」と考えている。負けるとわかっている彼の闘いにタルーは賛同し、志願者を募って保健隊を結成しようと提案するのだから、ペストは明らかに人間の中にある「正義」を喚起している。
しかし、リウーの言うようにペストとの闘いに終わりはない。「こいつ(注:ペストのこと)の正体はしょっちゅう繰り返すってことなんです」と逃亡を図りながらも成就できないランベールは疲弊して言う。
なぜ、負けるとわかっている闘いをそれでも闘わなくてはならないのか。それはリウーの次の言葉に端的に示されている。
「自分の暮している世界にうんざりしながら、しかもなお人間同士に愛着をもち、そして自分に関する限り不正と譲歩をこばむ決意をした人間」
人間が社会に対して負うべき「義務」や「倫理」の問題にカミュは踏み込むわけだが、その議論の緊迫感と生真面目さにひと息つきたい私としては、この小説中のある人物に光明を見たい。
ジョゼフ・グランという名の老官吏は日々の仕事に加えて、リウーに協力して保健隊の登録や統計の仕事をこなしている。グランはひそかに小説を書こうとしている。彼の夢は、自分の持ち込んだ原稿を読んだ出版屋が立ち上がり社員に向かって〈一同、脱帽〉と叫ぶことである(この場面には思わず噴き出す)。ただ小説はなかなか完成せず、冒頭の形容詞を何度も手直しして前に進むことができない。
ペストとの闘いという次元とは別に、グランの小説執筆もまた負ける闘いを闘っているといえる。この物語の本流からは外れるようなエピソードに見えるが、グランの小説との格闘はペストとの闘いとは規模がちがうにせよ、同じ比重を持って興味深く描かれているのがうかがえる。さらに言えば、カミュは「書く」という行為をペストとの闘いに対置させているのではないか。
それを裏付けるように、「書く」ことの重要性について述べられた箇所が見られる。「われわれに残された唯一のものは、つまり簿記の仕事ですよ」とペストの猛威に疲れきったランベールはつぶやく。
また、この小説自体がリウーの記述だということが最後に明かされるが、記録を詳細もらさず取ることによって、自分が体験したペストとの闘いの記憶をはらい清めようとするリウーの強い意志が感じられる。タルーもまた日常的に手帳に市民の生活を書き留めている。このように「書く」というテーマはこの物語の底流としてあるのではないか。
一見滑稽な人物として描かれるグランだが、彼の統計の仕事は重要で、「グランこそ、それらの衛生隊の原動力となっていたあの平静な美徳の、事実上の代表者であったと見なすのである」と称賛されるほどだ。仕事を離れて私生活で小説と苦闘するグランを描く作者の筆致は、この小説中にあって例外的に温かくユーモアがある。
だから、「書く人」グランが死に瀕しても最後に救われるのは当然のことなのかもしれない。ペストから回復した彼は文章の書き直しをまた始める。嬉々として彼は言う。「すっかり削ってしまいましたよ、形容詞は全部」