光景

2021年4月2日



 もらった自転車はブレーキの利きがわるいのでスピードを出さないようにしているが、それでもすべるように舗装道路を進んでいく。細い道路は田圃が一面にひろがるなかを通って住宅地へとつづく。日が沈みかかり夜になる少し手前の時間、周囲の物音がやんだ一瞬をねらったように、右からも左からも蛙の鳴き声が一斉に湧き起こる。生ぬるい田圃の水と土の混じったにおいが自転車で風を切る私の顔に直接当たってくる。息を吸って吐くごとに、からだの中身が新しいものへと入れ替わっていく気がした。十代だった私は沖縄を離れて、初めて見知らぬ人たちのなかで暮らしはじめた。見るものすべてが目にまぶしくて、当時そういうことばを使っていなかったのはたしかだが、自分が「更新」されていく感覚を毎日のように味わっていた。

 やがてすぐに月が空にかかり、薄青い光のなかを泳ぐように自転車は進んでいく。夜の虫が鳴きはじめ、風がひんやりしてくる。私はペダルを踏む足に力をこめて、その人のいる部屋へ向かう。


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