子供たちに書道を教えてほしいのだという。
私に書のたしなみはなかったが、日本人であれば誰でも流暢に毛筆を滑らせて趣きのある字を書けると思い込んでいる節のある相手をがっかりさせたくはなかったし、一回きりの小学生向けの授業なのだから私のおぼろな知識でもどうにかなるだろうと引き受けることにした。
当日、子供たちに熱心な目で見つめられながら、私は黒板に半紙を貼りつけて書き方のお手本を見せる。「月」という字が書きやすいだろうと書き順を教えて、さあ、みなさん手を上げて空中に指先で書いてみようと練習を何度か繰り返した。それから実際に筆で書いてもらう。
女の子が手を挙げて訊ねる。「字のとなりに月の絵もかいてみたいのだけど、いいだろうか」と。日本の小学生からはまず出ないだろう要望に一瞬とまどったが、「いいね、やってみよう」と答えた。すると、子供たちが次々に手を挙げて、ぼくも、わたしもかいてみたいという。教室のなかは急ににぎやかになった。家族をかいてみた、犬もかいてみた、と「月」の字に絵を添えた半紙を子供たちは掲げて私に見せてくれる。クラスは即席の展覧会と化した。
それにしても子供たちのかいた書の多彩で自由なこと。本物の書家がこの光景を見たら卒倒するかもしれないが、子供たちの発想に私は圧倒され、ただただ感心するばかりだった。
教えるのではない。教えられるのだ、いつでも。