縛られた自由の女神

2023年11月3日


車を運転していて、自由の女神像の首にロープがかけられているのが目に飛び込んだ。ロープは地面へ一直線にピンと伸びている。沖縄本島中部にあるパーラーの敷地内にその自由の女神は建っている。ミニチュアサイズだが2メールぐらいはあるように見える。台座にのっているのでもう少し高いかもしれない。おそらく、大きな被害をもたらした先の台風の教訓で、強風に倒れないように地面に打ちつけた杭にロープをつないでいるのだろう。しかし私には自由を象徴する像の首に縄をかけて自由を束縛しているように見え軽い衝撃を受けたのだった。

本来なら地面にすっくと立っている彫像がその状態にない場合は強烈な印象を私たちにもたらすだろう。民衆によって引き倒されたサダム・フセインの像、映画なら、フェリーニ『甘い生活』のヘリに吊るされた巨大なキリスト像、アンゲロプロス『ユリシーズの瞳』の解体されたレーニン像を船にのせて運ぶ光景などが思い浮かぶ。地面から切り離された石像は安定を失い宙をさまようことで、別の意味をもつ存在と化する。

運転しながら自由の女神像が頭から離れない。フランスからアメリカに送られた友情と博愛の証。人類すべての者の平等と自由を高々と謳い上げている像自体は当然のことだが礎にしっかりと据え付けられている。もしかすると、自由とは不自由を枠組みとして生まれるものなのかもしれない、と考える。抽象的なことばである「自由」「平等」「博愛」といったものは、それを形象化するものがなくては宙に浮いたことばでしかないのではないか。だから、完璧な形をした像(均整のとれた姿形、おごそかな表情)であることに若干の抵抗をおぼえながらも、鼻白むことなくその人類が目指す理念に賛同したいとさえ思うのだ。


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