たまにその人と道ですれちがうと立ち話になり、いかに現在の日本社会が問題を抱えているか、そして沖縄の米軍基地問題についてお互いに思っていることを憂鬱な顔で言い合い(「いやはや」「いやー」「ダメですね」が私たちの口癖になっている)、最後は、日本の未来は明るくはないですな、とつぶやいて別れる。
はたして過ぎし日の日本が良かったのかは、なんとも言えないが(私たちは郷愁的に「良い時代」があったと考えるのではないか)、しかし、これほど私たちが無力感にさいなまれる時代もないのではないかと感じたりもする。
ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、沖縄でも南西諸島の軍備化は急速に進んでいる。沖縄戦に至るまでの歴史をまさに反復しているのを目の当たりにし軽いめまいさえおぼえる。パレスチナとイスラエルの紛争もガザ地区にとんでもない被害をもたらしそうだ。
社会のタガが外れかかっている。まともな神経をしていれば、この現状に耐えられないのではないか。だから人はかえって陽気になるのかもしれない。神経症的な陽気さがいま日本に蔓延している。
私とその人が何度も話題にするのは、自分たちの世代はもういいのかもしれないが、子や孫たちのことを考えれば、何とかしなくてはいけないという気持ちに駆られる、ということだ。
その人は言う。こういう状況だからこそ日常の些細な事を大切にしなくてはいけないのだと。そのとおりだと思う。観念的で大きな事は私たちの手に余る。むしろ身近な人間関係や一日一日の生活を大切にすることが、耐えがたいことに耐える力になるのではないかと、そのことばに励まされている。