歴史は繰り返す。いまさらあらためて書きつける必要もないほど、私たちはそれを知っているはずだが、いま沖縄で戦前の歴史の反復を目の当たりにしながら、そんなことなどなかったかのような言動を頻繁に繰り出す人たちがいる。
自衛隊の南西諸島配備について、自分たちを守ってくれるから歓迎する、という石垣や宮古の住民コメントが新聞に掲載されることがある。純朴で悪げのないその言葉もまた、遠いむかしにどこかで聞いたことがある/読んだことがあると既視感にとらわれる。
では、住民を守るという名目で駐留する軍はどのようなことばを口にするのか。大田昌秀が沖縄戦までの過程を詳細に記した『沖縄のこころ―沖縄戦と私―』(岩波新書)から引いてみる。
長参謀長(筆者注:沖縄守備軍司令部の最高責任者)は、沖縄がすでに決戦場の一環になっていることをとくに強調し、戦場に「不要な人間」がいては困るから、老幼婦女子は、軍の作戦の邪魔にならぬ所へ移り、働く能力のある者は、「戦兵」として義勇軍に参加せよ、とつけくわえた。(中略)(筆者注:沖縄守備軍司令部は)「その時になって、一般県民が餓死するから食糧をくれ、と言ったって、軍は、これに応ずるわけにはいかぬ。軍は、戦争に勝つ重大任務の遂行こそ、使命であり、県民の生活を救うがために、負けることは許されない」と公言した。(P63)
それは実際に軍から発せられたことばであり、過去と同様に沖縄が戦場になることがあれば、間違いなく繰り返される言説であろう。いまここ沖縄で進みつつある軍備化の帰結を私たちは予測できる。それもかなり正確に。