『青山真治クロニクルズ』(リトルモア)を読む。2022年3月21日に逝去した映画監督・青山真治を追悼するためにエッセイや論考、インタビューをまとめたもので、770ページにもおよぶ大部の本である。小学生時代から晩年までの知人や友人の証言を通して浮かび上がってくるのは、映画に身を捧げる青山の姿だ。
酒を飲むとやっかいだったと何人もが嬉しそうに語る様子から、いかに青山が愛されていたかがわかる。そのように「チーム」をまとめていった青山をうらやましく思いつつ(そう、映画制作はチームワークなのだ)、本当に惜しい人を失ったのだといまさらながら茫然とする。
青山の映画を一言で言い表わすのがむずかしいのは、一作ごとにテーマやスタイルを変えていったからだ。誰もが称賛する傑作『EUREKA』を撮った監督が犯罪物『レイクサイド マーダーケース』を撮り、感動的な小品『東京公園』を撮るという幅の広さは、どれが本当の青山真治かと問う必要もなく、すべてが青山真治なのである。創作者として安泰(安定)することなく常に枠を壊しつづけた軌跡をたどるだけでも胸がいっぱいになる。
日本にすばらしい映画作家は過去から現在にいたるまで数多くいるが、私にとって青山真治が特別なのは、画面に息づいている物や光をとらえる感性はもちろんのこと、的確なカットつなぎに時々紛れ込ませる冒険的なショットといったように、常に挑戦する姿勢に刺激を受けるからだ。それだけではなく、いまの日本社会を生きて呼吸しているものたちへのまなざしの注ぎ方がいいと思う。おおげさなことばを使えば、彼は「愛」をフレームの中で再現している。映画への愛、人への愛、すべてのものへの愛。青山の映画は見る人へ厳しく問いかけながらも(おまえはそれでいいのか、という声が聞こえてくる)、根底のところで抒情的だと思う。「彼は寂しがり屋だった」と何人もが言っている。
遺作になった『空に住む』は、これが最後の作品だと知らなくても、ラストのタワーマンションから見る都心は、なにかに到達した(あるいはなにかが終わった)風景として感動的である。
これから先も何度も青山真治の映画を見直すだろうという確信とともに巻を閉じる。