確かに世間の親らのようにオリュウノオバには人の物を盗んではいけない、人を殺めてもいけない、殺傷してもいけない、という道徳はあたうる限りない。何をやってもよい、そこにおまえが在るだけでよいといつも思ったし、礼如さんと暮らし続けて仏につかえる道は何もかもをそうだったと言い得心する事だと思っていたので、物を食わないためかやせこけてなお注射針を体に射して、血管から逆流して注射器にまじる血を圧し返すように射つ三好を、親にもらった体に針など射してはいけないとも言わないし、血管は血の他に異物などいれるものではないとも言わない。
中上健次「六道の辻」(『千年の愉楽』より)