物語とのずれ

2023年8月19日


 物語るものと物語られるものとのあいだのひそかなずれ

―天沢退二郎「略譚の岸辺」

 

 天沢のあの奇妙な詩の物語群は、常に同じ話を語っている。すなわち目の前に生起する予期せぬ出来事にとまどいながらも、自然のことのように受け入れていく語り手。彼は物語をなぞることを倒錯的に引き受けている。しかし、そもそも彼は物語の語り方を知らないし、出来事の始まりも忘却している。居心地の悪さを感じながらも、彼は物語と折り合いをつけていこうと試みる。もちろんそこには「ずれ」が生じてくる。

 物語るもの(方法)と物語られるもの(出来事)の一致こそが「物語」の理想であるはずだが、「ずれ」をそのまま「ずれ」として提示するのが、天沢の譲れない一線なのだろう。

 

 そうだ、あの女のところへしかしどうすればもういちど戻れるというのだろう。泳ぎの術もこころえぬわたしがあのときよくまああんなに泳げたものだ、(中略)わたしはどうにも気恥ずかしくみじめなのをこらえながら、いくどもけんめいに両手を動かして飛びあがっては滑走したけれどもしょせん二度とこの前のときのように深々とまた易々としてあのやさしい女のところへ泳ぎ着くことはできそうもないのだった。

「乙姫様」


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