戒厳令

2024年12月6日


その人はネットでニュースや知人が配信する動画をずっと見ていて、とうとう夜を眠らずに過ごしたのだという。

韓国の尹錫悦大統領が123日の夜に「非常戒厳」を宣言したのは私も驚いて、ニュースの速報に見入り、その数時間後には解除されたので胸をなでおろしていた。

 翌朝、私は打ち合わせでその人と会ったのだが、前述のとおり、眠れない夜を過ごしたとその人は言ったのだった。リンゴやケーキなどをご馳走になりながらの和気あいあいとした打ち合わせではあった。だが、韓国生まれのその人にとって、内心は打ち合わせどころではなかっただろうと思う。

 私は「戒厳令」について軽々しくは言えないが、それがどういうものかは、1980年の光州事件を扱った、ハン・ガン『少年が来る』やイ・チャンドン『ペパーミント・キャンディー』、あるいはチャン・フン『タクシー運転手』などを通して少しは理解している。

 こういう場合に警察や軍隊は暴力装置である自らをあられもなくさらけ出すということも想像できる。しかし、兵士たちが国会に踏み込んでいる写真は想像以上におぞましく、一個人の無茶な思惑によって引き起こされたものであるにせよ、他者の尊厳をいとも安易に踏みにじる、人間の不気味なとらえどころのない一面をうかがわせるようで、私は無力感のようなものに苛まれた。

今回、短時間で宣言が解除されたのは、市民や良識ある与野党議員の、それだけは許さないという断固とした意志があったからであろう。光州事件の生々しい記憶、そして民主化闘争で勝ち取った現在の民主主義社会を守るという気概は(薄れているのかもしれないが)いまだに民衆に息づいていると思った。

今回、あらためて憲法こそが為政者の権力を抑止するのだと強く感じたし、政治を支えているのはやはり市民であると感じた。

いま、世界的に見て各国とも政治情勢が揺れている。日本も間違いなくその波をかぶっているはずだが、さて、どれほどの日本人がこの不安定を自分のことのように感じ取っているのか。


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