先の大江健三郎のことばをあらためて考えてみる。「一瞬よりはいくらか長く続く間」を集中して想起すること。
これまで自分が歩んできた道―まっすぐにせよ、ジグザグにせよ―を振り返ると、その時々に出会った人たちの表情や、その人たちとのやり取り、何気なく見た光景などがきれぎれに脈絡なく思い浮かんではこないだろうか。
実のところ私たちを形づくるのは、そんな細切れの記憶の集積なのかもしれない。それだからこそ、充実した一瞬を生きることに意味が見いだせるのだろう。
「一瞬」に向けて意識を集中することは祈りに似たものになるのではないか。それは宗教的な姿勢が希薄な現代日本社会を生きる私たちにとって示唆的な考え方であろう。『燃えあがる緑の木』はすぐれて現代的な小説なのである。