たとえば、一日の終わり―たいていは夜になっている―に帰宅するときなど、空に月がかかっていることがある。満月のときは黄色の異様に大きな物体が宙にぽっかり浮いていることが不思議で目が離せなくなるし、十三夜の白い月が天空高く慎ましげでありながらも煌々と光を発しているのを見るとき、気持ちがみるみる澄んでくるのが自分でもわかる。月光が夜の大気を水のように青々と変えていて、私は水底から海面を見ているような、ここではないどこかにいるような気になる。月にはそのような効力があると思う。
日本文学の中で、印象的な月の描写はいくらでもあるような気がする。本棚を探って目についた文章を引用しようとしたが、思ったよりも見当たらなかった。
その晩のような光では月が満ちているのでも欠けているのでもなくてただ出ていて光は月から差しているのではなくてそこに向って集中しているのだとも思えた。又そうであってこそ天の一角にその光の塊、或は欠片が出来た。それが地上から遠い一箇所に止まっていてその廻りにそれだけの空間が拡っているのは月が逆にその空間を凄じい勢で落ちて行く感じでもあった。そのように月は高い所にあって明るかった。
吉田健一「金沢」
また、金井美恵子の「水蜜桃のような」月が、「シューシュー」と音をたてて昇る描写が強く印象に残っているが、いくつか心当たりのある小説をめくっても、ついにそのような記述に出会うことはなかった。