人前で話すのは好きではないし得意でもないのだが、どうしても引き受けざるをえなくて年に一、二回話すことがある。
話した後は激しい後悔におそわれるのだが(言い足りなかった、思ってもいないことを口にした、まったく逆の主張を述べてしまった…など)、もちろん学ぶこともあって、後から客観的に自分の話を振り返ることができ、考えが深まる場合もある。
忘れられないことがある。大学生に仕事の話(働く意義、なぜ働くのかなど)をしたときのこと。
ひとりの女子学生が最前列の真ん中に座った(つまり私の目の前)。大人数の教室で話したことがある人はわかると思うが、学生たちはできるだけ後ろや端の方から座っていく。だから壇上にいる講師を中心に扇状の空席がきれいにできる。
その慣例を打ち破る学生の勇気ある振る舞いに私は感動した。そんなにも聞く気に満ちあふれているとは!
ところが、私が話し始めて20秒ほどで彼女は机に顔を伏せて寝てしまったのである。それに衝撃を受けた私は、私の話が退屈なのだろうか(しかし20秒で話を聞かないという判断は早すぎる)、前日寝ていないから眠気に耐えられないのだろうか(いや、それならば最前列に座ることはない)、本日のテーマに対する無言の反抗なのだろうか、などと考え込んでしまった。そうなると目の前にある彼女の頭頂部に意識が吸い寄せられて、自分の話に集中できない。
焦った結果、話者自身なにを話しているのか理解できない、とりとめのない講話に終わってしまった。彼女は最後まですやすやと寝ていた。
これは難しいことであるが、話し手と聞き手が双方向でやりとりのできる、つまり参加者全員でつくりあげるような講義や講話が理想だと思う。聴衆の反応が良いと講師もどんどん調子が上がっていくというのを何度も見たことがある。
うなずき一つだけでも話し手は勇気づけられ、意気が上がるのは間違いない。対面の授業や講話は、相手の反応に大きく影響され、いくらでも方向性が変わっていく。だからおもしろいのかもしれない。