「セクサス」(ヘンリー・ミラー 井上健訳)より
最後まで破綻を来すことなく引っ張っていける小説家は、掃いて捨てるほどいる。しかし、いま必要とされているのは、ぼくのように先の展開がどうなろうとへっちゃらな作家なのです。その点に関しては、ドストエフスキーでも十分とは言えません。初めから終わりまでちんぷんかんぷんでいいのです。馬鹿になるべきなんです! みんなプロットだのキャラクターだの、こねくりすぎなのです。プロットやキャラクターでは人生は書けない。人生は高尚な頭の中にあるわけではない。人生はいまここに、言葉を発するとき、長々としゃべりまくっているときにあるのです。人生は二気筒エンジンの四百五十馬力なんですよ。