目的地を決めずにただ歩く。自宅を中心点にしてゆるやかな円を描くように近所を歩くだけでもいい。かつて集落の人たちが使用していた湧き水、いまは誰も住む人がいない赤瓦の家。コンクリート塀に座っている猫と目が合う。ふだん車に乗っていると見過ごしてしまうものばかりだ。日ごろ切羽詰まっていると思われた時間が、このときばかりは間延びしたような感じになる。
図書館の中も散歩のように探索できたらいいと夢想する。書架の間をさまよっているうちに不意に目当ての本を見つけたときの満足感。あてもなく歩いているとたまたま遭遇した魅惑的なタイトルの本。こんなものは読まないだろう、しかしここで出会ったのも何かの縁、とつい手に取ってしまう本。そんな探索を繰り返しているうちに時間が自分の周りを流れていく。ふと自分は守られている、という感覚が湧き起こってくる。
散歩のコツはあくまでも、気負わずに、遠くを見るともなしに見ながら、ぼんやりと歩くことである。不思議なことに出会いは向こうからやって来る。
「どこまで行けるか、確かめる方法は唯一つ。すぐにでも出発して歩き始めることだ」(アンリ・ベルクソン)