かつてそこにあった事物が、目の前から消えてしまうこと。失われた風景というのは、いつの時代、どこにでもあるものだろう。
写真家・漆原宏の「ぼくは、やっぱり図書館がすき」には、1980年代ごろ図書館を利用していた人たちが、子供を主として写っている。図書館に集まって本や雑誌を読む人たちは、静かな熱気をおびている。
そう、無心に本を読む人の顔が、決してコロナ感染拡大の影響だけではなく、近年、図書館からなくなってきているのではないだろうか。
顔をこころもち伏せて、うつむき加減で、本の世界にのめり込む。ときおり、物語の展開や登場人物に賛同の意を示すように頬がゆるむときがある。一文字一文字を慈しむように唇をすぼめてそっと音読する。ふと顔を上げると、いままで浸っていた世界の名残りに瞳は靄がかったようになってはいるが、澄んだ光をたたえている―そんな表情はもう見られないのかもしれない。
失われた風景は簡単に取り戻せないし、懐かしがることにそれほど意味はないのだと、私たちはついシニカルに考える。しかし、長い時間を置くほど輝いてくる風景に、これほど惹きつけられてしまうのは、どうしてなのか。