数年前のことだが、ある在日朝鮮人の小説家とお話をする機会があった。その人は最後に「日本語で小説を書きなさい」とおっしゃられた。私が沖縄出身であることを踏まえてのアドバイスだった。
ふだんから日本語で書いているのに、「日本語で書け」というのは謎かけではない。その意味が私には痛いほどよくわかった。その人自身が朝鮮語と日本語の二つの言語を持ちながらも、あえて日本語で書くことを選んだのは、母国と呼ばれる国に安住することはできず、「異国」である日本で暮らすしかなかったからだろう。だから日本語で書くというのは幾重にも屈折した複雑な思いと、言語を押しつけてくる歴史的な状況に対する怒りすら含んでいる行為ではないだろうか。
沖縄もまた言語的に紆余曲折した歴史をもつ。もちろん私も日本語で話し、書いているが、違和感は常にぬぐえない。かといって、いわゆる「シマクトゥバ」を流暢に話す・書くこともできないのだから、私もまたふたつの言語の狭間で生きていかざるをえないだろう。
結局のところ、日本に生まれた(生まれさせられた)私たちは、日本語を使っていくしかない。日本語という言語を社会的に獲得していく過程でなにかをあきらめて制度とどこかで折り合いをつけている。だが、母語になんら疑いをもつこともなく、自然に使うとしたら、見えない壁に気づかないまま暮らしていくことになるのではないか。
その状況に抵抗するためにこそ、「日本語」をあえて使うという選択肢もありうる。「日本語」で書いていくというのは、その人にとっては制度への闘争である。そういうふうに私はとらえた。
「言語はアイデンティティだ」とよく言われるが、事態はもっと複雑で混沌としているのではないかと思う。昨今、自らのアイデンティティを確認・確立するために、言語が都合よく使われているように見える。「私たちの言語が失われる」と嘆く言説にこそ距離をおいてじっくりと考えてみたい、私たちの言語とはいったい何なのだろうかと。