夜、知らない街や通りをさまよい歩いた記憶がいくつかある。
最終バスを乗り過ごした私は、ふと、徒歩で家まで帰れるのではないかと思いついた。街から私の家がある郊外まではバスでおよそ45分。
街での会合の帰りだった。少し酒の入った頭には、不可能事もたやすく思われるものらしい。ここに住んでまだ日も浅かったが、街からのバス路線はしっかりと頭の中に入っている。歩こう、と考える前に私は歩き出した。真冬にもかかわらず、からだの内は温かったので、しばらくは気持ち良く歩くことができた。
だがすぐに、自分は無謀なことをしているのだと気づかされた。だいぶ歩いたつもりが、私がいるのはまだバスで街から数分ほどの距離なのだ。先が思いやられたが、引き返すわけにもいかず歩を進めた。それ以外に家に帰るすべはないのだ、と自分を鼓舞する。
街から外に出るとコンビニなどはまったくないし、自動販売機もない。無人の暗い舗道を北に向かってどこまでも歩いていく。郊外に必ずひとつはある、トルコ人が経営するケバブの店だけが煌々とした灯りを路上に投げている。その灯りを見つけたときだけは、人心地がつく思いだった。
〈街〉以外は〈郊外〉と呼ばれ、それぞれの地域が寄り集う。それぞれの地域のメイン通りは独自の雰囲気があるものだが、夜になるとみんな同じ街並みに見える。ひとつの地域を出るとまた同じような光景がつづく。同じところを延々と回っているのではないかという不安にとらわれる。
工場の敷地の前を通ったときは、金網にぶつからんばかりに駆け寄ってきたドーベルマンに思い切り吠えられた。
何時だろうか。真夜中はとうに過ぎている。吐き出す白い息を数えるようにして私は歩いた。やっと馴染みのある商店街に着いた。もちろん人影はまったくない。気力を振り絞って私は自分の住んでいる通りに向かった。
私はそこで迷ってしまった。自分の家がどこにあるのかわからなくなってしまったのである。通りの両側に一直線に並ぶ家はすべて平屋の造りだから、どの家も同じに見える。私は通りの標識でここが自分の住んでいる場所だと確認するが、肝心の家を探すことができなかった。見慣れていたはずの家の構えを見つけられない。
このとき初めて私は勝手の知らない異国にいて、自分はひとりなのだと思い知らされた。