迷子の名人

2026年5月31日

                                                                                                      

 以前、ある人と東京に行ったときのこと。ある駅で降り、私たちは歩き出した。私は初めて訪れる場所だったので道は不案内だった。東京に慣れているその人についていけば大丈夫だろうと思い、私たちは黙々と目的地をめざして歩いた。そのうち私たちは道を見失って途方に暮れることになった。

 どうしてそういうことになったのか。私はその人が道を知っていると思い、ついていけばいいと思っていた。その人は私が道を知っていると思い、ついていくつもりだったそうだ。なんでも私が自信を持って歩いていたからだという。けっきょくふたりは駅まで引き返し、案内図を見て再度出発した。

 私は単に方向音痴なのだと思う。若いころから、あらゆる場所で迷ってきた。だから外国に行って迷子になってもそれほど不安にはならない。タイのバンコク郊外でトゥクトゥクの運転手に勝手に動物園で降ろされたときには、まったくどこにいるのかわからず、このときばかりは宿に帰れないかもしれないと覚悟したが、言葉の通じない街でどうにかたどり着いたのだから、恐れるものはなにもない。

 スマホはない。地図も持っていない。頼りになるのは自分の勘だけで、それも当てにならない。初めての街は私にとって迷宮のようなものだが、どこにいるのか、どこへ向かっているのか、この不安定さを私は楽しんでいるのかもしれない。

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