光について

2025年9月30日


相変わらず慣れない人前での話を終えて、ファストフード店でひと休み。こういう造りが他の場所にもあるのかよくわからないが、エントランス外側の自動ドアと店内への入り口の間にある狭い空間にテーブルがひとつきり置かれている。正面エントランスではないので、配達人を除けばあまり人の出入りもないし、店内の他の席ともガラスで区切られているから静かだ。そこに座ると目の前は一面ガラス張りで、外には街路樹があり、太陽の光に輝く緑が目に飛び込んでくる。

持参した松浦寿輝『黄昏の光―吉田健一論』を開く。吉田健一の小説の中で描かれる「光」について論じていて、夕暮れの光、冬の朝の光、月の光など、吉田小説のあちこちに頻出する「光」を列挙する。

 

夕方つていふのは寂しいんぢやなくて豊かなものなんですね。それが来るまでの一日の光が夕方の光に籠つてゐて朝も昼あつた後の夕方なんだ。

(吉田健一「航海」)

 

私がいま店から見ている景色は光にあふれていて―夏の強烈な日射しに建物の影はくっきりと黒く短い影を路上に落としている。街路樹の分厚い葉は光に輝いて濃く目に映じ、緑が燃えているようだ―、ガラス張りに空間にいる私は光に包まれている。ふいに幸せな気持ちが湧いてくる。

 

吉田健一にとって、光は言葉のなかにしかなかった。もっと言えば、言葉こそが光だった。

(松浦前掲書、70ページ)


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