街の昔

2025年7月26日


 知人である元大工の人が私の実家の庭にある物置にドアを付けてくれるということで、私も手伝いを頼まれた。手作りの木製ドアに鉋をかけながら、ドアの開閉を調整していく。おそらく80歳近く、引退してから長い間大工道具を使っていないと言っているが、玄翁を使って鑿を打つ様子を見ると腕はいっこうに衰えていないという印象を受けた。

ドアを取り付けたついでに、伸び放題の庭の木を、剪定というよりも大胆に切っていく。ミカンの木は切ると小さな実しか生らないので、切ってはいけないのだと教えられた。

 休憩中にかき氷を食べながら、この街の昔の話をする。私たち家族がこの街に引っ越したのは、ちょうど米軍基地が返還され、「開放地」と呼ばれる土地が売りに出されていたときだった。当時は赤土が目につく一面の野原だった。見渡すかぎり人家はほとんどなく、少し離れたところに小学校の校舎、その背後には米軍基地の高層住宅が何軒も建っているのが見えた。

 それがいまでは、この区域は住宅街になっていて、もはや野原は存在しない。その人は言う。ここが米軍基地だったときは、フェンスに囲われて入ることができなかった、外から見ているだけだった、と。

小学校の近くに川がある。私が小学生のころは川の近辺で遊ぶことはあったが、川は濁っていて入れるものではなかった。テラピアの魚影を橋の上から眺めていたものだ。

 その人が子供だったころ川は澄んでいてよく泳いだそうだ。沖縄戦当時に日本軍によって破壊された石橋は現在でも残っている。あれは、米軍の進撃を防ぐために日本軍が爆破したのだが、真ん中から割れた石橋の上を米軍の戦車は苦もなく渡ったそうだと笑いながら言う。

 傾いたカップから氷のしずくがその人の指を濡らす。ポタポタと地面に落ちるのも構わずその人は話しつづける。


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