『変身』カフカ(川島隆訳)
なぜグレゴール・ザムザは、抵抗することなく死を受け入れるのか。いなくなることを家族から望まれるザムザ。彼はそれをしずかに引き受けるのだ。カフカの小説の主人公はきまって、他者による死の宣告を当然のように受容する。「判決」の父親による死刑宣告の指示に従う息子、「審判」の「犬のように」殺されてしまうK。それが唐突の小説の幕切れをもたらす印象を与える。まるで運命の筋書きを知っているかのように、作中人物は初めから主体性を放棄し、成り行きに身を任せる。
作中人物の徹底した無力は負の渦となって読む者を引きずり込むだろう。主体性の回復とか、目的に向かっての前進などから程遠いカフカの小説は、その点において現代的だと言えるのかもしれない。
ナチスのユダヤ人虐殺と結びつけて読む人もいる。カフカは常にその時代の出来事や事象にそくした読み方をされる。私は、ガザの人びとを想起せずにはいられなかった。
ザムザが変身した得体の知れないものは、ドイツ語でUngezieferと言い、害虫を意味する。家政婦からは「クソ虫」と揶揄され、家族からは「怪物」扱いされる。ついには一番の理解者である妹からも「あれにいなくなってもらわないと」と言われる始末である。
隔離壁を築き、外から経済的に管理するイスラエルの植民地的支配とザムザの扱いが重なる。電気・水道・ガス・通信のインフラ管理から食糧供給の制限にいたるまで、ガザの生殺与奪の権利を持っているのはイスラエルであり、それはザムザを養っている家族をそのまま拡大したかのようだ。
今回、ハマスの襲撃をきっかけに始まったガザへの大規模攻撃にあたり、イスラエルはパレスチナ人に対して「Human Animals(動物のような人間)」という言葉をためらいなく使った。攻撃はいっこうに終息せず、いまもつづいている。