火葬場で肉親や親族の骨を目にする場合を除いて、私たちの日常生活で人骨に触れることは稀であろう。
私が人骨を初めて目にしたのは、高校生のときだったと思う。父の測量の仕事を手伝うために鬱蒼と雑木の生えている丘や森に入ることがあった。木漏れ日が地面に落ちている谷を歩いていて、父は骨があるから踏まないようにと私を振り返って注意する。重たい測量器具一式を背負って、鉈を手にしながら進んでいくので、いつしか私の集中力は疲れのためとぎれてくる。地面に白い欠片が散らばっているのが目に入ってもそれが骨なのかよくわからない。
骨がなぜそこに当たり前のように落ちているのか理解できず混乱した。父の説明によるとこの一帯は沖縄戦の激戦地だったから、いまでも収骨されずにあるのだという。けっきょく私たちは骨の欠片をそのままに先に進んだ。
このところ、沖縄戦から残る骨を目にすることがある。「沖縄戦終焉の地」である糸満市摩文仁の丘のフィールドワークに参加したときのこと。道もない藪のなかを下り、防空壕として使われていた洞窟に入ると、骨の欠片らしきものが落ちている。ガイドは、これは人骨ですね、と事もなげに言う。このあたりにはいくらでも落ちているのだという。その人はこのあたりを掘ってみるとのことで、その人を残して私たち一行は先に進んだ。
最近、職場の同僚の荷物を置いてある部屋を片付ける必要があって手伝った。平和教育の授業用の資料だという段ボールの中に詰まっていたのは、ぼろぼろになった飯盒や靴の底(80年経つと靴底しか残らない)、手榴弾の破片などである。旧日本軍が使っていたもので、掘り起こしたものだとのこと。中に混じって骨の切片が出てきた。粉上になったものも集めて袋に詰め直す。
数箱ある段ボール箱は行き場がなく、けっきょく、私がいる部屋に収めることになった。パーテーション一枚をはさんで、いまも私の席の後ろにある。