消えていくカフカ

2024年6月25日

カフカ

 

 カフカの小説はどれを挙げても良いと思うが、なかんずく私が魅了されるのは「インディアンになりたい願い」という短い一篇で、掌編というよりもメモのようなものである。全文を引用する。

 

ああ、ぼくがインディアンだったらなあ、そくざに決意して、疾駆する馬に打ち跨り、斜めに空を切って、顫える大地の上で絶えず小さく身体を顫わせ、ついには拍車を捨て、だってインディアンに拍車なんて要らなかったから、手綱をなげうち、だってインディアンに手綱なんて要らなかったから、行手の、たいらに刈られた荒野のような大地もほとんど目にとまらず、もはや馬の頸も頭も消えて。

(円子修平訳)

 

スピードとリズムにあふれた文章がもたらす陶酔感、たちまち起こった運動が疾駆しながら、余計なものを脱ぎ捨て透明になっていき虚無へと消えていく小気味の良さには何度読んでも眩惑される。この一篇はカフカの小説全体をあらわしていると思う。『城』『審判』をはじめ、『失踪者』にしろ、突然始まる出来事は遮二無二進んだかと思うと新たなる唐突の出来事に遭遇し、どうにもならなくなって方向を変え、そのまま自分自身を消し去っていくという物語の構造がある。自己を消去したいという願望にとらわれ、そのことを繰り返し書いてきたのがカフカではないか。

私がカフカについて、つらつら考えてみようと思ったのは、最近読んだ『カフカふかふか』(下薗りさ編著、白水社)がおもしろかったからである。

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