車を運転しながら、そういえば、ここはむかし海だったのだ、とふと気づく。それほどむかしのことではない。私が小さかったころ、この一帯に道路はなかった。いまでは沿岸には工場地帯がひろがり、内陸部にはショッピングモールやさまざまな店が立ち並ぶ一大商業地として活況を呈している。
当時、私のいとこが県営団地に住んでいて、私は週末にそこを訪ねてはいとこと遊んでいた。県営団地は海に面し、高い防波堤の上から海に向かって石を投げていたことをおぼえている。いつからか、その海はなくなり、広大な埋立地は新たに住宅地となっている。
このあたりは戦前に塩田として栄え、まさに恵みの海として地域の人びとに生活の糧を生み出していた。かつての記憶は「塩屋」「泡瀬」という地名にかろうじて名残をとどめている。
実は沖縄はかなり海岸の埋め立てが多い。日本復帰後、まるで「開発」以外に経済発展はないのだといわんばかりに、国も県も開発事業に邁進してきたように見える。そうして山は削られ、海は埋め立てられてきた。
私たちが美しいと思っている砂浜はほとんど人工ビーチだと考えていいだろう。ほんとうの自然浜は岩がごつごつしていて歩けるものではないが、そんなビーチに人は娯楽のために集まらない。
このように私たちは記憶の風景を喪失し、新たな風景をあたかも初めから存在しているかのようにみなして、資本主義社会を享受している。