アッバス・キアロスタミの三部作『友だちのうちはどこ?』『そして人生は続く』『オリーブの林をぬけて』。
1990年のイランの大地震により『友だちのうちはどこ?』の舞台となった村も甚大な被害を受けた。この映画に出演した主役の少年や村人たちの安否を監督が気遣って村を訪れる様子を撮影したものが『そして人生は続く』。この第二作に端役で出演する夫婦役の若い男女がいるが、映画外の現実では、若い男性は女性にプロポーズして断られつづけている。その成り行きを撮ったのが『オリーブの林をぬけて』である。
キアロスタミ自身、三部作になるかも当初は考えていなかったにちがいない。現実に起こる出来事(大地震、若い男女間の恋愛)に左右され、映画は行き先を定められないまま揺れ動き、そのつどごとに提示される道をたどって思わぬ方向へ進んでいく。私たちの前にある道は、キアロスタミ映画を特徴づけるあのジグザグ道のようだ。
現実とフィクションを往還しながら映画/物語が生成していく過程は実にスリリングである。
光が当たり白いきらめきを見せるオリーブの木の葉、荒々しい塗りあとの残る漆喰の壁、車が通るさいに巻き起こす土埃、路上にたたずむ名もなき人たちの表情や身振り。
映画は矩形の枠に囲まれた物語世界だが、もちろんフレームの外にも世界はひろがっていて、そのひろがりを切り捨てて映画を見てしまうと、とんでもない誤解に陥るおそれがあるのではないかと思う。
なにげない風景などない、と言うべきではないか。撮るだけでそこに「生」を感じさせる映画は稀だ。私たちの「生」は連続しているのだから、それを断絶する映画のカット割りには「欺瞞」がある。それを穏やかに指摘するキアロスタミにあるのは(これが映画だ、とぶっきらぼうに差し出すゴダールとは別のやりかたで)、「映画」は肩ひじを張ってつくる必要はないのだという余裕と、やはり「人生」に対する慈しみではないか。「映画」と「人生」を等記号で結ぶこと。
『友だちのうちはどこ?』がつくられる過程を詳細に描く『そして映画はつづく』(晶文社)も秀逸。