いつからコーヒーを好むようになったのだろうか。20歳のときに同年の女性から、たばことコーヒー(ブラックにかぎる)がいかに合うかを力説され、手ほどきを受けて以来、私にもコーヒーが欠かせないものになったことはたしかだ。たばこはともかく、コーヒーはいまでも私の生活の一部であり、一日何杯も飲む私のからだは大部分コーヒーで構成されているのではないかと思うこともある。
ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』は、コーヒーを飲みたばこを吸いながら、とりとめのない会話が交わされるだけの映画で(ただそれだけの映画なのであるが)、私もその語りのスタイルや語り合う者同士のあっけらかんとした雰囲気に魅了された者のひとりである。
武藤三代平氏の論考「榎本武揚の植民政策とコーヒー」(『コーヒー文化研究』第29号、2022年)によると、日本で最初にコーヒーがもたらされたのは沖縄だという。榎本武揚による植民地政策の一環としてコーヒー栽培が検討されていたというのは初耳で、沖縄でコーヒーが栽培できるのは単純に良いことだと思っていた身からするとおおいに考えさせられる内容の論考だった。「榎本による小笠原・沖縄でのコーヒー試植建議とは、日本国内の島嶼部に熱帯植物資源を用いた生産地を創出するという殖産興業であり、そのツールを用いてさらなる熱帯植民地を獲得していくという、帝国化への野心を具現化した営みであったといえる」(P14)
常に時の権力者に利用されてきた沖縄の地位について考えこまざるをえない。そして、いま私たちが口にしているコーヒーの原産地についても、そこでいったいなにが起きているのかを想像することなく、単なる嗜好としてとらえてしまう私たちの意識についても見直さなくてはならないだろう。「スタバ」でコーヒーを前にして本を読んだりパソコンをいじったりしている客の姿にどことなく違和感をおぼえていた私は、「植民地」を補助線として導きいれることで、このモヤモヤした思いと決別できそうだ。
たしかにコーヒーは美味い。それなくしては、貧しく寂しい人生だと思わずにはいられないほど、魅惑的な嗜好(中毒)品である。だが、それによって見えなくなっているもの(ここでは歴史、政治性)をこそ浮上させなくてはいけないのではないか、と反省する。だからといってコーヒーを飲まないということにはならないのだが、せめて豆を挽いている間だけでもその由来に思いを致したいと思う。