夏、戦争遺跡に指定されている「沖縄陸軍病院南風原壕群」を訪ねたときのこと。沖縄戦時、この壕には戦禍に逃げまどう兵士や病院関係者、そして地元の住民たちが籠っていた。いまでは、反戦・平和の学びの場として活用されている。
資料館で当時の写真などを見学してから実際に壕の中に入る。うす暗くて蒸し暑い。約70メートルの狭いトンネルのような壕の中で多数の人が暮らしていくのは不便どころか不快であったろう。こんな体験をしなくて幸いだ、と私は心のどこかで思いながら見てはいなかったか。
壕から出たところで案内人が小瓶を手にして立っている。「当時の壕の中のにおいを再現したものです。嗅いでみませんか」
私たち一同は好奇心にかられて渡された小瓶を取り囲んだ。最初に嗅いだ人が顔をしかめてすぐに遠ざける。次の人がむせる。顔を近づけた瞬間、強烈なにおいが鼻の奥を刺激し、吐き気が込み上げてきた。案内人の説明によると、血や糞尿が混じり合う独特のにおいを化学薬品でつくりだしたとのこと。
沖縄戦の様子は本や体験談などで詳しく知っているつもりだった。だがなによりも、ひと嗅ぎしただけのにおいが、当時の環境へと私たちを引きずり込んだのには驚きしかない。
壕を出て外を歩く私たちの目に、森の緑が鮮やかに映る。おそるおそる息を深く吸い込むと、樹木の香りをふくんだ空気が鼻腔をくすぐる。あたりまえのように呼吸できることがありがたい。
沖縄戦の体験者が次第に亡くなっていくなか、継承が危ぶまれている。戦後の沖縄に生まれた私たちが、戦争を実感するのは実のところむずかしい。
あのにおいはもう二度と嗅ぎたくはない。しかし一方でこうも思うのである。不快だからと避けてはいけないにおいもあるのではないか、と。