切られた街路樹

2023年2月27日


 

一年ほど前だろうか、車で国道を走っていると、沿道に街路樹として植えられている大きなアカギが真ん中より少し上から切断されている。思わずブレーキを踏んで速度を緩めながらまじまじと見た。切られたアカギの流れがしばらくつづいたので、これは道路拡張工事がはじまるから木を別の場所に移す作業にちがいないと自分に説明をつけてその場を通り過ぎた。

それから毎朝国道を通っても、一向に工事の始まる気配はなかった。剪定なのだと納得するまでには時間がかかった。しかし、それを剪定と呼んでもいいのだろうか。まるで樹木の墓場でも見ているような殺伐とした気持ちになった。

「琉球新報」(2023217日)に「街路樹剪定を美しく」という記事が掲載されている。それで知ったのだが、「病害虫対策などで多くの枝を切り落として切り株状にする」ことを「強剪定」というそうだ。なるほど、枝先を整えて切るだけでは、樹木の生長の早い沖縄では剪定の意味がないのかもしれない。枝分かれする前の方で切るのが合理的なのだ。だが、それでは美観もなにもあったものではなく、街路樹の目的にかなわないだろう。つまり行政を担う人たちは、目的と手段をいつしか取り違えるようになったのである。その記事によると、沖縄県は「強剪定」を取りやめて新たなガイドラインを制定するとのことである。「巨木化による道路隆起や病害虫被害、落ち葉」が問題というのもあるだろうが、それは担当者も述べているように、場所に応じた適正な木を植えることで解決できるだろう。ようやく動き出したことをうれしく思う。

ところで最近気づいたのだが、切断されていたアカギが緑の芽を吹き、はやくも未来の樹形を予感させつつある。人間界の事情とは別に、独自の力強い生命を見た。


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