たまにするジョギングで隣の集落を走る。沖縄ではめったに見かけないが、碁盤目状の通りが特徴的な集落で、実に走りやすい。集落は山のふもとにあり、そのまま山道へと駆け上がる。ハブに出くわすのが怖いので暗くなる前に走るようにはしているが、かといって日射しのきつい日中はつらいので、ジョギングをするのは天候や時間との相談になり、どうしても不定期になる。今年は暖冬なので、ゆっくり走るとそれほど汗もかかず、冷たく澄んだ空気だけが体内に取り込まれるようで気持ちがいい。急勾配の山道を走っていると息も切れ、同じところを足踏みしているだけの感覚にとらわれ、引き返そうかとも思うが、頂き近くになると海が見え、しばらく立ち止まり、海を眺めている。
息が整ったところで、帰りの道を下っていく。帰りは同じ集落の別の道を通る。そのときに民家のブロック塀の角に高さ70センチほどの石碑を見つけたのである。最初は石敢當だと思って、腰をかがめて字を読もうとしたときに、梵字碑だと気づいた。梵字で書かれた石碑は、沖縄県内に現在確認できるものは33基あり、そのうち11が私の住んでいる村にあるという。
梵字碑が出てくる小説を書いたこともあるので、ひとかたならぬ興味を抱いている。こんなところで遭遇したのは嬉しいおどろきだった。かつては梵字碑を探して村内を回ったこともあったが、見つけられたのは数基だった。民家の敷地内に建っているものもあり、簡単には足を踏み入れられない。
以来、ジョギングをするときには、この民家の塀にかがみ込んで、しばらく梵字碑を見ている。晴れて暖かい日には、猫がうずくまって目を閉じている。
黄土色の微粒砂岩に彫られた五文字は、「地、水、火、風、空」を意味する「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」と読むそうだが、私には、子供がいたずらをして釘で引っ搔いた落書きにも見える。
梵字碑はいつ、誰が建立したのか記録は残っていない。この地域には戦前からあったという証言がある。日秀上人が補陀落渡海により流れついた琉球で真言宗をひろめて以降、仏教が盛んになっているので、おそらく400年前から沖縄で作られ始めたのではないか。
とくに文化財に指定されることもなく、地元の人たちが拝むでもない、忘れられた石碑。石敢當と同じように魔除けとして見られているが、さらに時間が経つと彫られた文字が雨風で薄れていき読めなくなってしまい、ただの石の塊としか見られない日が来るかもしれない。しかし、人がいなくなり、建物が消えていったとしても石碑は残るだろう。そうして歴史を経てきたのだ。私たちが石碑を見ているというよりも、石碑が私たちを見ている―そんな思いがふと湧き起こりもする。