The Smithsの曲 “There Is A Light That Never Goes Out” は恋愛の歌というには、穏やかでないものを含んでいる。曲自体はシンプルな内容で、恋人とドライブに出て、家には帰りたくない、このまま連れ出して、というものだ。夜、対向車のヘッドライトがときおりすれ違うなか、ゆるやかな車の振動に身を揺られながら、帰りをできるだけ遅らせたいという思いにとらわれた経験をもつ人は男女問わず多いのではないか。
ところが、助手席に乗っているその人は帰りたくないばかりに、事故に遭うことを望みさえする。
and if a double-decker bus
crashes into us
to die by your side
such a heavenly way to die
ダブルデッカーバスが突っ込んできたとしても
あなたのそばで死ねるなら、天にも昇る幸せ
and if a ten-ton truck
kills the both of us
to die by your side
the pleasure and the privilege is mine
10トントラックがふたりを轢き殺すとしても
あなたのそばで死ねるなら、わたしだけの喜び
車の助手席に座る人は、自分ではどうにもならない運命を運転手にあずけるしかないという意味で、常に受け身である。愛する人の隣であれば、なおさら陶酔と刹那的な思いが強まるのだろう。
だが、それだけならこの曲はよくできたラブソングにすぎない。
oh, please don't drop me home
because it's not my home, it's their
home, and I'm welcome no more
お願いだから家にはおろさないで
もうわたしのいる場所ではないから
家にはもどりたくないという、その人の切羽詰まった思いはどこから来るのだろう。英国の労働者階級出身であり、アセクシュアルとも呼ばれるボーカルMorrisseyは政治と性の交錯する場所から歌を発信する、少数者や弱者のための歌い手でもあることを考えるなら、この歌もまた、単純でないさまざまな暗示に富んでいると思う。
おそらくどこにも居場所がないであろう自らの全存在を賭けての彼方への脱出。私を全面的に受け入れてくれる人だけが車を運転する資格がある。
there is a light and that never goes out
決して消えない灯りがある
「灯り」を希求するこの一文があることにより、刹那的な愛の歌は相対化される。そこには瞬間と永遠をともにまなざす瞳がある。恍惚と冷静、ふたつの相反する感情が同居するという矛盾を抱えたMorrisseyは、絶望をうたうときでも一抹の希望をひそませている。