ふだん自分が考えていることを口にすることによって、ぼんやりとしていた考えに形をあたえることができる。さらに私の話に敏感に反応し、それはこういうことではないだろうかと意見を加えて深みを増してくれる相手の存在。そのとき対話によって形成されるのは、誰のものとも言うべきではない、共同で練り上げた考えということになるだろう。
スマホの使用について、ある人と話をした。YouTubeやソーシャルメディアが盛んになるなか、迅速さと効率化が至高のものと位置づけられる。こういうときこそ、時勢とは真逆をいく、小説の真価が問われるのではないか。小説は書くのもそうだが、読むときも一字一句を追っていくという手間暇のかかるものでもある。遅くて効率が悪いものに多数の人が飛びつかないのはよくわかる。
しかし、みなが同じ方向に同じ速度で向かうときに、逆の方に行く、あるいは時間的にズレる、遅れるというのは、それだけで何かを生み出すのではないか。根拠があるわけではないが、感覚的に間違ってはいないと思う―。これはその人との対話で生まれた意見である。
ちなみに私はスマホを持っていないので、あらゆるものから取り残されていると感じるときもあるが、それでも構わないではないかとなかば諦めの心境で日々を過ごしている。