空港はどこでもない場所(nowhere)でもある。治外法権が適用されるわけではないが、入国審査を済ませるまでは、その国に入国したことにはならない。だから飛行機を降りて到着ロビーまでの間は、一種のエアポケットにいることになる。
祖国でクーデターが起こったことによりパスポートを失効し、アメリカに入国できなくなってしまったスピルバーグ『ターミナル』のトム・ハンクスは、帰国も入国もできないまま宙づり状態におかれ、何か月も空港に暮らすことになる。
おもしろいのは、空港の中にいることで、寝る場所や飲食やトイレなどに困らず、さらには仕事と空港職員の仲間を得るなど、生きるための空間を自力でつくり上げたことである。購入した本で英語を習得していくしたたかさもある。交渉のために言語は必要だからだ。
目まぐるしく行き交う人の波、高低音で耳を打つ多言語のにぎわい、魅惑的な商品の並ぶ店先、絶えず天井から響いてくるアナウンスと、国際空港とは祝祭的な空間でもあろう。そこに事件の勃発や、奇抜な人との出会いがあってもおかしくない。
この映画はコメディだが、国籍がないなど、法で定められた権利を受けられない人たちがとりあえず生存する可能性を見出す場として、空港を設定したのは秀逸なアイディアである。
警備と法でがっちりと固められた場所の狭間にこそ、実は生存のチャンスがあるのだと考えることは、なにやら励まされるものがある。なにかあれば空港に行こうと思う。暮らす勇気はないけれども。