ある人と話をしていて、初めて外国へ旅行に行ったときの体験が話題になった。その人は10代のころひとりで欧州へ行き、まったくことばが通じず、空港ロビーの隅に座り込んで「半泣き」の状態だったという。あのころは、スマホなどという便利なものはなく、インターネットもそれほど盛んでなかったので情報の入手は容易でなかったから、伝手のない人間は異国にいて自身の無力感をかみしめたにちがいない。それは多くの旅行者が体験したことだっただろう。
その人の話をきっかけに、私も同様の経験があったことを思い出す。関西国際空港からほとんど半日もかけてその国に着いたときは緊張と疲れでくたくたで、空港の荷物受取場で待っていると、ベルトコンベアで運ばれてきた私のキャリーバッグは蓋が壊れていて、全開のまま中身が外に飛び出している。そのときの絶望感といったらなかった。それをすべて拾い上げてから、どうにかしてほしいと近くのスタッフに惨状を訴えた。連れていかれた事務所でなんとか単語をつなぎ合わせて事情を説明。慣れた感じの事務員が代替品請求の手続きを教えてくれた(後日、受け取りのために教えられた住所を訪ねたところ、フロア一面にキャリーバッグが何十も置かれていて、同じぐらいの大きさのものを選んで持って行けと言われたので、いい加減だなとあきれつつ、先代よりも良いキャリーバッグを入手した)。
空港で壊れたバッグを手にした私は相当落ち込んでいるように見えたのだろう。事務所に案内しながら空港スタッフの女性は、旅の目的やこの国を訪れるのは初めてなのかなどいろいろ質問をした。この歌を知っている? とリノリウムの長い廊下を歩きながら「I Will Always Love You」の一節をホイットニー・ヒューストンもびっくりするだろう美声でうたってくれた。当時の映画とともに世界中でヒットした曲である。私への心遣いをありがたく思わぬでもなかったが、内心、この先どうすればいいのかという心配事が頭を占めていて、歌を味わうどころではなかった。そのスタッフに充分にお礼を述べたか憶えていない。
心の余裕ができてから考えてみると、丁寧というわけではないが、友達のように気さくな対応をしてくれたあの女性のような空港スタッフは他国ではなかなか見かけないのではと思った。「心配しなくてもいいよ」が挨拶代わりになっている国である。トラブルを適当ないい加減さで乗り切る楽天的な姿勢は、その後も何度も体験したのだが、その国の国民性と遭遇する最初の空間が空港であるのかもしれない。