晴天の日に近くの海に行くと、引き潮のときはヤドカリが砂浜にたくさんいるのを観察できる。それぞれ方向を定めずにゆっくりと歩いているが、近づいていくと気配を敏感に察知して貝殻の中へ身を縮めて動かない。こちらも、ヤドカリが触覚を出すまで息をひそめてそばにたたずむから、その場はにわかに根くらべの様相を呈する。
子供がどうしてもヤドカリを持って帰りたいというので、飼う自信はなかったが、空き缶に数匹入れて家へ持ち帰る。二週間ほどは元気だった。ある日、水槽代わりにしている虫かごを覗くと、一匹が貝殻の外に出て死んでいる。意外と長いからだで、黒ずんでしなびた臍の緒のようだった。むごいものを見たと思った。
それから、日が経つごとに一匹ずつ死んでいく。不思議なことに、死んだヤドカリはみんな貝殻から出ているのだった。これ以上死ぬのを見るのにしのびなく、子供を説得して残りを海に返した。
ある日、ヤドカリのことをぼんやりと考えるともなく考えていると、ひらめくものがあった。なぜヤドカリは死期を悟ると、自ら進んで家の外に出るのか? もしヤドカリが自らの住居の中で死んでしまったのなら、死骸はそのまま貝殻に残り、次のヤドカリが入居困難になるのではないか。つまり、ヤドカリは次に入る者のために場所を空けているのだ。
自然界はなんとうまく回っていることかと感心すると同時に、こんな小さな生物にも種を守る仕組みが遺伝子に組み込まれているのだと感動すらおぼえる。
科学的根拠を調べたわけではない。貝殻から出るのは生物学的にきちんとした理由がありそうだが、あえてその理由を知りたいとも思わない。生き物であるかぎり、後に残る仲間のことを考えるのは当然なのだという、根拠のない確信があるだけである。