映画館は大学の構内にあって、貧相な造りの入口からは想像できないほどの観客席数と立派なスクリーンを持っていた。
キャンパスにあふれるほどいた学生たちは夜になると波が引いたようにいなくなり、広大な敷地はひとしお寂しくなる。構内の寮に住む学生たちは、街の喧騒から切り離され、孤島に住んでいるのと変わらない。夜は大量に出される講義の課題をこなすか、格安リカー・ショップで購入してきた箱入りのワインを飲むか、映画館に行くかという選択肢しかなかった。
寮に住んでいた私はよく映画館に通い、その年に公開されたアメリカ映画のほとんどを見たのではなかったか。映画が終わってから、深夜に近い時間にほとんど森と言ってもよい帰路をたどるのは勇気のいることだった。
その映画館では、他よりも新作映画が遅れて上映されるから割引で見ることができた。私の友人がもぎりをしていたので、観客の少ない夜の回に何度か無料で入れてもらったことがある。また、人の良いインド系のオーナーも、貧乏留学生の無賃入場を見て見ぬふりをしてくれたのではないかと思う。
その夏、暇に任せて『タイタニック』を4度見た。3時間以上の映画だから、夜10時に始まると終了するのは真夜中を過ぎている。観客は私を入れて数名しかいない。すでに何度目かだったので眠気に耐えられず、うつらうつらしては途中で目を覚ますことを繰り返していた。館内はクーラーが効きすぎてかなり寒い。寒さと眠気が一体となって私の意識を奪っていくようだった。夢うつつのまま、席にずぶずぶと沈んでいく。そしてクライマックスのタイタニックが氷山に衝突し、乗客が夜の海に投げ出される場面。
ジャックが、海になかば溺れかかっていて、顔は青ざめ唇を震わせながら、ローズに生き残るよう言いわたす。そのシーンを前にしながら、わが身は映画の人物と同期し、冷水による痛覚さえ鋭く感じられるのであった。
映画にかぎらず小説でもそうだが、その時々の周囲の環境(温度や天候)や自身の体調が物語の印象に影を落とすことがままある。『タイタニック』は私にとって〈感動もの〉というよりも、極限の寒さに彩られた映画として、からだに刻まれている。