毎月定例の粗大ごみ収集日の数日前から、通りに並ぶ各民家前には大量の粗大ごみが出される。ごみと呼ぶのは失礼であろうと思われるくらい、古いが立派な家具やまだ使える大型の電化製品が並び、路上には展示会場かと見まがう光景が出現する。その家具などを目当てに地元やよその地域から人が殺到する。
粗大ごみは市の収集車が回収していくのだが、その前に自分のお気に入りや必要な物をもらっていくわけだ。元所有者もそれを承知していて、前もって自宅前に出しておく。そんな慣習がその国にはあった。考えてみると、この自然発生的な仕組みは、誰もが得をするようになっている。ごみを出した人は回収してくれる者が綺麗にしてくれるのでありがたいだろうし、市の回収業者からすれば自分たちの仕事の手間が省けるので助かるし、もらっていく人はお金をはらわずに欲しい家具を入手できる。
もともとフリー・マーケットが盛んな国ではあったし、個人の所有物を車庫の前で売りに出すガレージセールも頻繁に行われていた。移民が多いということもあるのであろう、大きな組織を通さずに自分たちだけで売り買いをやっていくという文化が根付いていた。
私も友人に誘われて何度か参加したことがある。車に乗って各戸の前に出された物品を見て回るのは楽しい。欲しい物が無料で手に入るというのは心躍ることではないか。
ひるがえって、沖縄県那覇市。各家庭から出るアルミ缶を持ち去った人への行政の指導件数が862件と過去数年で急増している(「沖縄タイムス」2022年7月18日)。リサイクルに回すと換金できるので、個人で回収する人が後を絶たないわけだが、その行為に対して行政指導が入るというのは、やりきれない気持ちになるニュースである。アルミ缶を回収する人を見ていればわかるが、けっこうな重労働の割にはたいした金額にはならない。それでもやらざるをえないのは、生活に困窮しているからだ。ここ数年指導件数が増えているのは、コロナ禍による経済不況もあるだろう。記事によると回収する人は60代から80代の男性がほとんどだという。
思えば、那覇市は2008年に空き缶や古紙などの持ち去りを禁止する条例を県内で初めて制定したのであった。
行政が市民の生活の糧を得る道を進んで閉ざしてどうするのだろう。勝手に持ち去られるという苦情に対応する策だと説明するが、ほんの少し融通を利かせれば、苦情者の言い分も聞きつつ生活困窮者の救済策も講じることができたような気がしてならない。
私は「困っている人を助けましょう」とこのときばかり道徳家になって主張したいわけではない。ただ、人が生活するための選択肢はできるだけ増やすべきだと常々考えている。
国や自治体に寄りかからず、自分たちの益になる仕組みを自発的につくりだすことは、思いもよらない回路を開く。路上にあらわれた粗大ごみの即席展示会場は、私たちの「生」の可能性をひろげていく一端だったのではないかと、いまになって思う。