路地の誘惑

2022年6月19日


 路地のことを沖縄では「スージー」と言うが、街を歩いているとあちこちにその入口が開いていて、まるで人が足を踏み入れるのを待っているようだ。

 那覇市の「新都心」のように新たに開発された地域には沖縄の伝統的な路地は見られず、むかしの街並みも道路の改修で劇的に変化するなか、「スージー」はまさに歴史の遺物となりつつある。

 路地の誘惑に抗うのはむずかしい。民家の壁の間を通る狭い路地は曲がりくねり先が見えないながらも、懐かしい雰囲気を醸して私を招く。かつてはこんな光景がどこにでも見られただろう。

 この勾配のゆるやかな角度がいいのだ、無造作に積まれた民家の石垣に時間の重みを感じるのだ、猫の糞のにおいはたまらないが路地には欠かせないのだ、などといっぱしの研究家のようにつぶやきながら私は奥へと進んでいく。わずか数十メートルの距離にこの街で流れただろう時間がひそやかに凝縮している。

 やがて道は意外な場所へと出る。そうか、この路地があの通りとこの通りをつなげているのかという発見がある。どこへ抜けるかは実際に見慣れた街の景色に遭遇するまでわからない。そうやって私は自分だけの街の地図をつくりあげていく。

 大変なのは車を運転しているときで、路地を見つけると、吸い込まれるようについハンドルを切って入ってしまうことがある。次第に狭まっていく路地の果てが行き止まりになっている場合は、Uターンをして引き返すのはほぼ絶望的であり、細かいハンドルさばきでの後進の運転技術が求められる。そうして会合の時間に遅れることがあった。それでも私は路地にふらりと入るのだろうと、なかばあきらめている。


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