ボルヘスと過ごす時間

2022年4月17日



 ここしばらく時間をかけて『記憶の図書館: ボルヘス対話集成』(国書刊行会)を読んでいた。詩人・評論家のオスバルド・フェラーリとの対話をラジオ番組で放送したものを収載している浩瀚の書物である。およそ120日分の対話を毎夜少しずつたどっていく。
 過剰な修飾をおさえた硬質の文体、最小限に切り詰められた物語、歴史や運命に対する無常観をテーマとした小説からは、ボルヘス自身の肉体は浮かび上がってこない。作者であるボルヘスは物語世界と超然と距離をとっている。ことばでフィクションの世界を構築することだけが彼の心がけているすべてであるように見える。
 ところが、この対話集成のボルヘスはどうだろう。リラックスして年下の友人と語らう85歳の老人は好々爺然としていて、ユーモアと温かみのある語り口でさまざまなテーマについて考えを述べる。血の通った人間が目の前にいる。
 語られる内容は哲学や文学、宗教、時間や歴史など多彩で、ボルヘスの知識と記憶の膨大な量に圧倒される。ボルヘスはだいぶ前に亡くなっているが、彼の「声」を起こした「文字」の「翻訳」を通して、私はその人の話を聞く。

「ともかく芸術家の義務は、現実に起きたことを変形させ、何か違うものにすることです。もちろんわたしの場合、使えるのは言葉だけです。そして自分の運命はスペイン語であることを知っています。これを使って、そしてこの伝統の中で―というのは言葉の一つ一つは伝統ですから―自分にできることを試みなくてはなりません。」(垂野創一郎訳)

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