出勤途中にひまわり畑があって、10月の中ごろ東に顔を向けて一斉に花開いた。運転中つい目を引きつけられて、ハンドルがおざなりになってしまう。毎日目にするのを楽しみにしていた太陽の花が、11月中旬のある朝すべて枯れていた。その日の早朝から降りはじめた強めの雨に、一様にうなだれて頭を落としているように見えるのはなんとも無惨な光景だった。
そうして次世代のために種を残すのだということはわかっていても、こちらまで粛然としてくる。
「一粒の麦もし死なずば」はジイドの小説名にもなっている聖書のことば。「一粒の麦地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」。もし花が永遠に枯れないとすればそれは一つきりのままだが、死ぬことによってさらに多くの実をむすぶ。
ひまわりの花は枯れたからうなだれているというよりも、大地に垂直に頭を落とすことでより多くの種を蒔けるようになるからだ、と考えることにして、また次の開花を待ち望む。