その人は、ある時に詩人として生活していくことを決めたという。いまの日本で詩を書いて生活できるのは、ほんの一握りの人たちだけである。営業から経理まで、ひとりで会社をやっているようなもの、とその人は冗談めかしていう。若い女性がひとり東京で生計をたてていくのがいかに大変かというのは容易に想像できる。クライアントの広告代理店との付き合いで、打ち合わせが終わってからも飲み屋やカラオケに連れ回される。自分はいったい何をしているのだろう、詩を書きたいだけなのに、と落ち込むときもある。でも、とその人はつづける。時間をかけて模索したすえに自分の身体から出てくる「ことば」の手ごたえを信じているから、今後もずっとこの道でやっていきたい―。
私たちは、恰好よいことはいくらでも言える。本当だと信じていなくても、それらしくことばを連ねることもできる。ことばは軽みがあるに越したことはないが、軽すぎてはいけない。思いをめぐらせた上で口にされることばは、ぎこちなく、なめらかでないかもしれない。しかし、聞く人の心にいつまでも消えない波紋を描くだろう。適度な重みをもった小石のようなその人のことばは、私の中にいつまでもとどまる。