日本語は美しい、という。誰が言っていたのか思い出せないくらいだから、それはひろく流布している言説なのだろう。
日本語は美しいのかもしれない、とそう思わないでもない。しかし、「Spanish is a loving tongue」という歌があるように、どんな言語でもそのすばらしさを賛美できるだろうと考えると、自国のことばの機能性や審美性を誇ることにさほど意味はないのかもしれない。
侯孝賢「悲情城市」。1947年の〈二・二八事件〉を背景に激動する時代の台湾の一家族を描いている。聾唖の文清は本省人にもかかわらず、列車の中で怪しい人物(外省人)だとみなされ、同じ本省人に誰何される。鎌を手にした男は最初に台湾語で、それから唐突に日本語で「あんたは、どこのひとか」と抑揚のない低い声でことばを二度繰り返す。これほど不気味な日本語は聞いたことがない。外国人が話しているから違和感がある、というわけではもちろんない。五十年にも渡る日本の植民地支配の下、なかば日本人として自身を内面化した男が、強制的に教育を受けた日本語を、非常時に敵味方を見極めるために権力的に使っているのが不気味なのだ。
この場面は日本語の別の側面を浮かび上がらせる。言語の冷ややかさというのだろうか、その言語を話せない人を排除する閉鎖性というのか、美しいはずの言語は、とたんに全幅の信頼をよせることのできないなにものかに変貌する。
時代や場所によっては、言語は強圧的な側面も持ちうるということだが、日本語は美しいと言われている間は、日本という国はまだ平和だといえるのかもしれない。嵐の前のなんとか、という予感がしないでもないけれど。