10代のころスキューバ・ダイビングの免許を取得するために何回か海に潜った。夏にもかかわらず水深18メートルの海中は冷たかった。厚さ7ミリのウェットスーツも体の冷えを守る役には立たない。しばらく遊泳しながらふと気づくと私は仲間たちを見失っていた。焦って狭い視界を探っているうちに私は上下左右の方向感覚をなくしてパニックにおちいった。灰色の海中には私以外だれもいない。
急上昇しかけたが、それは命にかかわる禁止事項だということをかろうじて思い出し、逸る気持ちをおさえてゆっくりと少しずつ浮上していく。海面に顔を出すと仲間たちは当たり前のようにそこここに浮いていたので安心しながらも拍子抜けした。ボートに引き上げられるとき酸素ボンベが異様に重く感じられた。
湯気立つインスタントコーヒーが全員に配られた。毎日飲んでいて馴染みのはずだが、懐かしい香りがする。温かい液が喉を流れ胃に落ちていく。震える体が次第に落ち着いてくる。こんなにうまい物があるだろうか、と思った。温かみが指先にまで染みわたる。
このとき飲んだネスレのインスタントコーヒーこそ生涯で最高のものだと断言しても、美食家たちに咎められることはあるまい。