精神科医の斎藤環氏が論考「芸能人「自殺連鎖」の病理」を「文藝春秋」11月号に寄稿している。
その中で「引きこもり」についても触れており、ひきこもりの人に対する一般的な印象として、「毎日が日曜日のような楽しい生活をしてい」て「楽園に生きている」という思い込みがあるのではないかと指摘している。しかし、それは完全な誤解で、コロナ禍で自宅にひきこもらざるをえない人が多くなったいま、長期にわたってひとりで部屋の中にひきこもることがどんなに苦しいことなのか理解できるようになったのではないか、と述べている。
そのとおりだと納得し、自分の浅はかさを反省した。私も「ひきこもり」についてそのようなイメージに引きずられていたことは否めない。本人が「外」に出たくないのなら、それでもいいのだと思っていた。その当人の気持ちに寄り添っていたつもりでも、実のところ理解からは程遠いところに自分を置いていたのだ。
この自粛期間、人と会って話をすることがどんなに大切なことなのかを、私たちは身に染みて知ることになった。
「社会との接点とは、人間にとって呼吸する空気のようなものです。その「社会性」を失えば、人の心は簡単に退行し、幼稚化してしまう」
ひきこもる人の心に寄り添いつつ、なんとか当人と社会との接点を見失わないような方策を見出すことはできないだろうか。考えなければいけないことはたくさんある。