後悔について

2020年10月14日


 いい作品に仕上げるつもりで、テーマに精通するまであたためておいたもろもろの題材を、おれは結局書かずに終るだろう、と彼は思った。まあ、そうすれば、いい作品を書こうとして失敗を嘗めるような目にもあわずにすむ。いずれにせよおれには、それらの題材は書けなかったのかもしれない。だからこそ、後まわしにして、着手するのを遅らせてきたのだ。まあ、いまとなっては、はっきりしたことは言えないが。

―ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」(高見浩訳)


 ヘミングウェイを彷彿とさせる主人公の作家は、アフリカで狩猟中に大けがを負い、過去を回想しながら死の時を待っている。あれも書こう、これも書こうと胸のうちにしまっておいたことは、いまや書かれることなく終わってしまうだろう。

 あるものを形にできないまま、自分がこの世からいなくなってしまう無念と、自らの才能を信じきれない人の、永遠の遅延への安心感がないまぜになっている。

 この作家の懊悩は、私たちにもあてはまる普遍的な悩みなのかもしれない。だが、こう考えてみたい。後悔の念こそが、私たちを形づくる―と。あのとき、ああしておけば良かったとクヨクヨ悩んでも遅いのだが、「それ」を選択しなかったことがいまある「私」をつくっているのだと考えるのなら、それはけっして受け入れがたいことではない。

 後悔することは悪いことではないと思うのだが、いかがだろうか、パパ?


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