数年前に亡くなられた詩人の全集を今夏発刊するのだという。奥様が私の職場に訪ねて来られた。年譜を作成するために、過去の新聞記事をひととおり見てみたいのだという。いっしょに新聞記事を検索しながら、その詩人の話に花が咲く。
私がその人と初めてお会いしたのは、ある文学シンポジウムでのこと。質疑応答のとき、私たち登壇者の不用意な発言をその人は聴衆席から咎めたのだった。会場に朗々と響きわたるその人の叱責の声に私たちは肩をすくめた。司会がなんとかなだめたのでその場は収まったが、その人の指摘に内心同意していた私はシンポジウム終了後にその人のもとにおもむき、私たちの不適切な発言を認め、私が考えていることを説明した。そこから交友がはじまった。
後日、私の職場に突然あらわれたその人は、近くに住んでいるので寄ったのだという。私たちはコーヒーを飲みながら、詩について延々と話をした。その人は情熱をもって試作やその人自身の詩への向き合い方を語る。発せられる一語一語が詩のことばそのもので、詩とはその人のあふれることばを受け止める器なのだろうが、器自体を破壊しかねない勢いに感銘とおそれを同時に受けた。帰りに署名入りの詩集をいただいた。
あの人は、家でも詩のことばかりしか話しませんでしたよ、と奥様は微笑んでそう言われた。