私が二十歳のとき、ある映画祭のオープニングでセルジオ・レオーネの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』が上映された。アールデコ調の舞台の大画面に映し出される、1920年代初頭から何十年もかけて展開される物語を堪能した。
冒頭の場面、若いジェニファー・コネリーが倉庫で踊るバレエ。うっすらと倉庫の天窓から落ちてくる光のなかで踊る少女をカメラはじっくりととらえる。壁の隙間から覗き見する少年の目を通して少女の蠱惑的な魅力が画面の隅々までひろがっていく。そのとき倉庫の板敷は美しい舞台へと変わっていくだろう。
その歴史ある劇場で見ることによって、映画は大きな川の流れのように悠揚迫らぬ一巻の絵巻物として立ち現われてくる。私はロバート・デ・ニーロやジェームズ・ウッズらとともに人生を歩み、歳を重ねていったのではないかという心地よい錯覚にとらわれる。
老いてすべてを失ったデ・ニーロは阿片を吸いながら楽しげに笑う。過去を思い返して笑っているのならば、この映画自体が彼の少年時代から老年にいたるまでの回想ということになる。だからこそ、少女が薄黄色い光のなかで踊るバレエが、えもいわれぬ美しい光景としてスクリーンの上で輝いているのではないか。